そうじ×情報×睡眠
本が3ヶ月で40冊ほど増えて本棚におさまらなくなる。
また、部屋にはここ3年ぐらいかけて溜め込んだ高さ20cmほどの
論文の山が6つほど並んでいて、部屋に足の踏み場がなくなる。
これはいい加減整理しないと二階の床が落ちる・・と思い、
土日をかけて部屋の掃除をした。
もう読まないであろう本を段ボール3箱分詰め込んだら、
本棚にすべての本を収納できた。
積み重なった論文をひとつひとつみる。ぱらぱらだけれども、
おっ、と思ったものはメモしていく。
自分の頭だけでは決して思い出さないような記憶も、外の記録媒体を通して、
ふたたびアクティブになって、しかも、昔とは全然違う視点で
気がつくことがたくさんあって、いろいろ考えていたら、
結局、2日かけて、論文2山分しか処分できなかった。
でも過去に自分が溜め込んだ資料というのは、決してゴミなどはなく、
情報の宝庫ではないか!ということに気がつく。
ただそこから意味ある情報を取り出すには、整理するのに
まる2日かかったように、コストがかかる。
養老さんの説によると、脳は覚醒しているときに増えたエントロピーを
処分するために、眠らなければならないのだという。
図書館に例えると、覚醒しているときは、いろいろな体験をして、
そのたびに、本棚から本(=記憶)をとってきては机の上にどんどん広げていき、
そこに新しいことを書きこんでいく。
本が散らかっていく = 無秩序が増大する = エントロピーが増える、となる。
そのような散らかった本を、また本棚に戻して、秩序を取り戻すために、
夜になると、脳は意識をオフラインにして、せっせと本を片づけるらしい。
でも元の場所にただ本を戻すのではなく、新しくできた本や、
新しく書き加えられた本を新しいカテゴリーの棚をつくって、
もどしたりして、たくさんの編集が加えられる。
その結果として、たとえば、夢のなかで閃いたり、夜悩んでいた考えが、
一晩寝ると整理されていて、答えが見つかっていたりする。
というわけで、脳であれ、おれの部屋であれ、情報は日々増えて溜まっていき、
無秩序な方向に向かっていくわけで、かならず整理する必要性が生まれる。
そのために、脳には睡眠があって、部屋には掃除がある。
そう考えると、夢のなかでの閃きも、論文を整理する過程でぱらぱらみながら、
いろいろ閃くのも、本質的には同じことだよね〜、というようなことを思ふ。