モえる木

いつもは殺風景でただ通り過ぎるだけの道路の風景に
この時期になると突然、燃えるような緑の木が出現して
いつもその異様な存在感を写真におさめてしまう。


昨日撮影した木。


二年前に撮影した木。


二年前の日記を読み返すと

http://d.hatena.ne.jp/toooru/20060421
青空を背景に、まるで緑が燃えているみたいに映えていて、
なんだかすばらしい!と思う。

と書いてあって、二年前も燃えていると感じていたのか、
と思ったのだけれど、今年はたまたま万葉集


石激(いしばし)る垂水(たるみ)の上のさ蕨(わらび)の
萌え出づる春になりけむかも


という歌が頭をよぎって、この状態のことを
「萌える」というんだ!とわれ直覚す(笑)。


春先の新芽が芽吹いてまるで緑が燃えているような印象に感動した
万葉時代のご先祖様が、萌芽とか芽吹くという意味があった「萌」
という漢字を「もえる」と訓読みしてしまったんじゃないか、とか


「萌」を草かんむりに明るいって書くのはまさに、新芽が出て
草の色が明るくなる変化の様子を表しているのではないか、とか


この木を見たときに胸にこみ上げてくる感覚と
現代のオタクの「萌え」は、実はまったく同じ心の動きで
現代では都市化してしまったので、心を動かされる対象が
自然現象から女の子の微妙なしぐさとかかわいらしさに
移ってしまっただけで、オタクの萌え文化って、
日本人古来の自然の変化に対する繊細な感受性の、
姿・形は変われども全く同じ精神のあらわれなんじゃないか、
とかといろいろ思った。


「萌え」深し。。