悪夢日記

ナウシカに出てくる巨大イモムシの
オームが出す黄色い触手のようなものを口からはきだす
シロナガスクジラみたいなデカい生き物が、
イルカの如く海面から空中に10mぐらい跳躍しては
その黄色い触手を高速にムチみたいに伸ばして
船の上の建造物を破壊してはまた海に戻っていく・・
そんな船の甲板上を逃げまどう夢を見た。
久しぶりのナイトメアだったのだけれど
妙に想像力を刺激するものがあったので夢日記

モえる木

いつもは殺風景でただ通り過ぎるだけの道路の風景に
この時期になると突然、燃えるような緑の木が出現して
いつもその異様な存在感を写真におさめてしまう。


昨日撮影した木。


二年前に撮影した木。


二年前の日記を読み返すと

http://d.hatena.ne.jp/toooru/20060421
青空を背景に、まるで緑が燃えているみたいに映えていて、
なんだかすばらしい!と思う。

と書いてあって、二年前も燃えていると感じていたのか、
と思ったのだけれど、今年はたまたま万葉集


石激(いしばし)る垂水(たるみ)の上のさ蕨(わらび)の
萌え出づる春になりけむかも


という歌が頭をよぎって、この状態のことを
「萌える」というんだ!とわれ直覚す(笑)。


春先の新芽が芽吹いてまるで緑が燃えているような印象に感動した
万葉時代のご先祖様が、萌芽とか芽吹くという意味があった「萌」
という漢字を「もえる」と訓読みしてしまったんじゃないか、とか


「萌」を草かんむりに明るいって書くのはまさに、新芽が出て
草の色が明るくなる変化の様子を表しているのではないか、とか


この木を見たときに胸にこみ上げてくる感覚と
現代のオタクの「萌え」は、実はまったく同じ心の動きで
現代では都市化してしまったので、心を動かされる対象が
自然現象から女の子の微妙なしぐさとかかわいらしさに
移ってしまっただけで、オタクの萌え文化って、
日本人古来の自然の変化に対する繊細な感受性の、
姿・形は変われども全く同じ精神のあらわれなんじゃないか、
とかといろいろ思った。


「萌え」深し。。

学問の方法

なんというかブログをまったく書かないでいると
それがふつうになってしまうもので
それではいかんと思いたってブログを再開。


実体論から関係論へ
というスローガンを立てて
脳・組織・ウェブ・人間関係・金融などなどの
複雑ネットワークに属するものを
すべて関係論に視点から再構築してみようと
考えていたら一ヶ月以上過ぎてしまった。


非常に粗い議論だけれど
これらすべてに共通していることは開放系であるということ。
開放系で一番おもしろいと思う性質は、
「部分」は「全体」をコントロールすることはできない
というところで、そのなかで
コントロールできない「全体」からうまく協力を
引き出せた「部分」だけが進化できる。


たとえば
経済のグローバル化とは、要は国々が相互に強く連結して
開放系になってしまったということで、その結果、
お金が世界中を自由に駆けめぐり
外からお金が入ってきてまた出ていくので、
もはや日銀がどんなに頑張ってみても日本国内のお金の流れを
コントロールすることはできないという。
そしてグローバル化した世界では、いかに外国から投資を呼び込み
お金を呼びこめるかが、その国が栄えるかどうかを決める。


ヒトとチンパンジーを隔てる大きな能力の差は共感能力にあるという。
共感の能力の進化も、開放系という文脈で解釈すると面白くて
共感能力というのは、ヒト同士の結びつきをものすごく強めるので
ヒト同士の関係性のネットワークを特別な開放系にする。
そのなかでは、ヒト同士の中でいかに優位な関係性をつくれるか
という能力に対して、進化の選択圧が働いたと思われる。
でもそれは、他人を力づくでコントロールするという能力ではなく、
むしろ本質的にコントロールできない他者といかに協力関係を築けるか
という能力であったはずで、その結果ヒトは最強の協力種となった。


脳に目を向ければ、どんなローカルな領野の計算結果も
脳全体をコントロールすることはできない。
むしろ、自分の活動が、いかに他の領野の活動を誘起できたか?
協調できたか?という側面が、新皮質が正常に
自己組織化するための本質的な拘束条件となる。


そして
今度は逆に脳にだけに存在する拘束条件について考えてみた。
なぜ脳にだけ意識が宿るのか?
それは脳にだけしか存在しない拘束条件があるからで
それは(数ステップのロジックをすっとばして結論を言うと)
sensorimotor couplingがあることだと思った。
sensorimotor couplingが
脳に意識が宿り、時間が生成されるための基点であり錨となる。


それで、ALVA NOEの"ACTION IN PERCEPTION"を読んで、
今はベルクソンの「物質と記憶」(岡部聡夫訳)を読んでいる。
二回目の挑戦だけど、ようやくベルクソンの言いたいことがわかった!
なんていうか100年前に書かれているのに、
個人的にはまったく古くないと思う。
これを読んでいてたら、ようやく、コモンセンス(常識)から
学問をするということの意味がわかったきがした。
小林秀雄本居宣長ベルクソン
養老さんも保坂さんも池上さんもボスも
要は、コモンセンスから学問をしているところが共通なのだと思った。
それがどういうことなのかということは説明が長くなるのでまたいつか。

勝間和代 お金は銀行に預けるな

正月に読んだ四冊の本の感想文。
まず一冊目。


勝間和代 お金は銀行に預けるな


われわれの世代は年金をもらえないらしい。


年金の給付開始が70歳まで延びる?
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/110/index2.html
年金は新制度を立ち上げるしかない
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/102/


この真偽はいろいろ議論があるのだと思うけれど
直感的にはおれももらえないと思う。
なので自衛しなくてはならない、
という問題意識があって読む。


いままで金融の本を数冊読んだけれど
この本は一番わかりやすい。そしてウェブ進化論を読んだときと
同じようななにか世界が開かれる感覚がある。


ここ数年、長時間労働が問題になっていて
グローバル化とはなんなのか?資本主義とはなんなのか?
お金とはなんなのか?という問題意識があったけれど
お金とは勝手に増えるもの、お金って小人だったんだ!
というのがこの本の一番のきづき。


おれなりの理解だとグローバル化とは
ひとりひとりが資本家・投資家になって
世界を見渡して成長している地域・分野・ものに
お金を投資するということだ。
日本という局所的な部分だけを見ていると
どんどんやせ細っていくようにみえるけれど
世界全体をみると、どんどん太っている場所があって
グローバル化は、その太っている部分に
だれでも投資しリターンを得ることを
可能にするシステムであるということだ。
だから国内がもう成長しないならば
世界を見渡して成長している地域に投資すればいい。


お金がすべてという価値観に染まってしまうのが市場主義の弊害で
働く側から見ればお金がすべてってどういうことよ?って思うけれど
逆に立場を変えて投資する側の視点に立てばリターンをよこせ!
ってことになって、そうしたストレスと欲望が複雑に絡み合いながら
世界中を覆いつくしているのがグローバル化で、
だからストレスだけでなく、投資に対するリターンというメリットを
享受してはじめてグローバル化の恩恵を受けることができる


勝間さんによると年間リターンで10%はものすごく高くて、
5%いけば上出来らしい。
この前に読んだ
大前研一 マネーハザード金言集
によると、週に半日ぐらいの時間を投資して
勉強すれば10%はいくという。
勉強するには時間がかかるけれど弱者が
資本主義のなかを生きていくうえでは必須の知識だと思う。


そして、これ。

高城剛 「ひきこもり国家」日本
p145
人間がお金を使う対象はサービスやモノの購入にあるが、増殖され続けるお金はやがてサービスやモノの絶対量を超えていく。そうすると、売買する対象に自然が加わることになり、環境を浸食していくようになるのだ。・・・極論を言えば、現在の資本主義と環境の保全はまったく矛盾している。


いまの金融資本主義というシステムでは
お金は増え続けるものなんだけれど
いずれ資源が枯渇するから修正を余儀なくされる。
成長は物質的豊かさをもたらし世界のどこかが成長しているから
リターンがあるわけだけれど、いまの環境問題の本質は、
成長自体が環境を破壊する原因になっているということ。
そしてエネルギーの供給がなくなれば成長は止まる。
だからおれが年金をもらうころ(30年後ぐらい?)には
世界の金融システムはたぶんいまとは異なる姿をしているはずで
そのとき金融資本主義によって年金システムが支えつづけていられるのかは
なんだかグレーゾーンだと直感的には思う。
われわれは、変化につぐ変化の忙しい時代を生きていかねばならないわけだ。


四冊分の感想文を書こうと思ったんだけれど
長くなってしまったのでつづきはまたこんど。

flying rat

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。


年賀状、今年は浮遊感のあるネズミってやつを追求して
去年と同じく、ムダに下絵をたくさん描いた。
白い紙の上に、自分のイメージをかたちにしていくプロセスが
面白くて元旦をつぶす。
というわけでこれが完成形の"flying rat"。







おまけで今年も進化の様子を大公開!
メイキングっておもしろい!と思う。


1/10.左上の絵が一番初めの絵


2/10.迷走中


3/10.ネズミの鼻まわりの形を理解する。


4/10.上を向いている顔が徐々にできてくる。


5/10.顔がアトラクターに落ち込む。


6/10.胴体を探索する。


7/10.胴体を探索する(その2)。


8/10.揺らぎ。口を開けたくなる。胴体が完成。


9/10.手足の探索。


10/10.すべて完成。




リンク:
2007年の年賀状
http://d.hatena.ne.jp/toooru/20070107

2006年の年賀状
http://i-mind.blogspot.com/2006/01/blog-post_02.html

一年を振り返って。

今年は一年が過ぎるのがとても速かった。
ぞっとするほど速かった気がする。


書きたいことはいろいろあったきがするけれど
書きたい衝動があったときに書かないとだめなことばかりで
それでも今年一年間を振り返ってみると
思考という名のオーケストラのなかで
通奏低音のようにずっとなっていたのが「価値」の問題。


価値とは相対的なもの。
そして人は成長の過程で特定の価値観を
意識的・無意識的に取り込んで
その価値観によりそって生きていく。


それで、自分の脳はいま
3つの価値観に反応していると思う。


1社会的価値観
お金とか社会的地位によって測られる価値


2業界的価値観
研究者ならば論文の数(インパクトファクターが高ければなおよし)
によって測られる価値


3真理的価値観
生命とは何か、意識とは何か、世界と何か、人間とは何か・・
などなどのいわゆるハードプロブレムに対する
貢献度によって測られる価値


この3つの価値を共存させること
そうするにはどうすればいいのか?がいまの自分にとって最大の問いで
3→2→1の順番でことが進むのが
一番自然なvalue chainだと思い
あたまをずっとフル回転させているわけれだけれど
どうもずっと空回りしているっぽい。
一方では、ある敷居値を超えれば相転移のごとく
一気に何かが進展するような気もするのだけれど
日の目をみるときはくるんですかね。


というわけで
どん底のときに思い出したい3つの言葉を書いて
2007年をおわる。


どん底に落ちて八方塞がりになったら「底を掘れ!」 by 養老孟司

養老孟司 玄侑宗久 脳と魂

養老 その場その場で、それなりに満足してるっていうことですよ。まさに成就したんですかねえ。まあ、ダメならダメで「しょうがねえや、それで」って開き直れるんですよ。そういう生き方したほうが楽なのになあと思うんだけど、やっぱり多くの人は、「こうしたらああなる」「ああすればこうなる」で自分を窮屈にしてるんだ。だからね、どん底に落ちて八方塞がりになったら、「底を掘れ!」っていうのが大好きなんです。どん底に落ちたら、そこから先は上がる一方だなんて甘いこと言うんじゃねえ。「掘れ!」ってね。


2「自分の心細さとか不安だけを信じる」 by 保坂和志  
http://122.200.201.84/interview/archives/no136.html


3「バラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない」 by スティーブ・ジョブス

スティーブ・ジョブス氏のスタンフォード大学卒業祝賀スピーチ
http://sago.livedoor.biz/archives/50251034.html

 もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。