チンパンジーのはなし

よくあることなんだけれど、
オマケイと電車のなかで
ヒトの道徳の起源について
性善説 vs 性悪説の議論になって、
気になって今年の1月に読んだ
フランス・ドゥ・ヴァールの「あなたのなかのサル
を読みなおしてみた。


霊長類研究者の間では、「今夜はボノボするぜ」である意味が通じるらしい


というような、どうしょうもない記憶しか思い出せなかったんだけれど、
読み直してみたら、いろいろ再発見があっておもしろかった。


去年、
奥田英朗という作家のインタビューが新聞に載っていて、


あふれる寸前のコップの水に一滴垂らしたとたん、どっと水がこぼれるような瞬間を描きたい


という言葉が妙に印象的で、心のなかに残っていたんだけれど、
それに相当するような話を見つけた!(気がする。)


クロムというメスのチンパンジー
ローシュという赤ちゃんを産んだんだけれど、
クロムは耳が聞こえないので、
メスのチンパンジーのカイフに代わりに育ててもらうことにした、
という話で、長いけど以下抜粋。

・・・カイフは養母の条件にぴったりだった。彼女は自分の子どもを母乳不足で死なせた経験があるし、当面ローシェと競合する実の子もいない。それにカイフは、赤ん坊に並々ならぬ興味を持っていた。クロムが赤ん坊の叫び声に気づかないとき、カイフもいっしょに声を出した場面を私たちは何度か目撃している。
 カイフはわが子が死ぬたびに、激しくふさぎこんだ。食べ物を受けつけず、悲痛な声をあげる。身体をずっと揺らしたり、自分の身体を強くつかむといった行動も見られた。哺乳瓶を使う練習をはじめたとき、カイフは赤ん坊を抱きたくてしかたなかったが、私たちはけっして彼女とローシュを接触させなかった。練習中、カイフは不満だらけだったはずだ。哺乳瓶から自分が飲むことは許されず、私たちが抱いたローシュに、ケージの向こうからミルクを飲ませなくてはならないからだ。それでも数週間の訓練で、カイフは哺乳瓶扱いがとても上手になった。私たちは次の段階に進み、カイフの夜用ケージに敷いたわらの上に、手足をばたばたさせるローシュを寝かせてみた。最初のうち、カイフはローシュの顔をのぞきこむだけで、手を触れようとしない。赤ん坊は私たちのものだという認識なのだ。チンパンジーにとって、ほかの誰かの赤ん坊に許可なくさわるのは、好ましくない行いだ。飼育係と私はケージのすぐ外で、座って様子を見守っていた。こちらに近づいてきたカイフは、ケージ越しに私たちにキスをし、ローシュと私たちを交互に見た。まるで許しを求めているようだ。私たちは「ほら、赤ん坊を抱いてごらん!」と言いながら、手を振ってローシュのほうを示した。ようやくカイフは赤ん坊を抱きあげた。その瞬間から、カイフは子どもを守り、いつくしむ理想的な母親になり、こちらの期待したとおりにローシュの子育てをしてくれた。

・・・ローシェを養子に迎えてから、カイフと私の関係に変化が起こった。私に感謝の念が向けられるようになったのだ。それまでカイフと私はつかずはなれずの付きあいだったのに、ローシュの一件以来、カイフは私の顔を見るたびに、ありったけの愛情を浴びせるようになった。それは、30年近くたったいまもまったく変わらない。カイフは、久しく会わなかった家族を迎えるように私の両手を掘りしめ、私がその場を去ろうとすると、泣きそうな声をあげる。こんな風に接してくるチンパンジーは、この世でカイフだけだ。カイフは哺乳瓶を使う訓練を受けたおかげで、ローシュだけでなく、実の子どもたちも無事に育てることができた。何年たっても、彼女はそのことをけっして忘れない。

本では、動物は感謝をするのか?という話題の中での
エピソードなんだけれど、
帰りの電車のなかでここを読んでいたら、
「その瞬間から、カイフは子どもを守り、いつくしむ理想的な母親になり・・・」
というくだりが、なんだか奥田英朗さんの
「どっと水がこぼれるような瞬間」に感じられて、
最近涙もろいのか、目頭が熱くなった。
チンパンジーなのに泣かせてくれるぜ、と思ふ。