日常の未知化

月曜日に芸大で荒川修作さんの講義を聞く。
衝撃的な人だった。

自分なりに良かったところをまとめると、


言葉が介入できないものをつかむこと。
それは、認識の生を外在化することであり、
ヒトの脳のイマジネーションは無限大なんだよ!


みたいなことだったのではないかと思う。


アートに必要なものは、いかに、認識の生に
寄り添うことができるか、であり、
アーティストを見ると、みんな、現実と認識の生の間の
微妙なバランスを保っているんだろうなーという
感じがするんだけども、


荒川さんは、完全にバランスが認識の生の側に
振り切れている人で、
向こう側にいってしまっている感じがした。


そして、だからこそ、荒川さんの話を聞いていると、
脳のモードが、無意識のうちに、向こう側に
引き寄せられる感じがして、
それは、なんだかすごいことだと思う。


その影響で、この頃「日常の未知化」について考え始めた。


無印良品のコンセプターの原研哉さんがデザインの基本は、
日常を未知化することだと言っていて、


普段、わかっていると思っているコップでも、
じゃあ、コップをデザインしてください、といわれた瞬間、
途端にコップというものがわからなくなる。

日常のなかに新しい問いを発見していくことが、
デザインの基本で、


とくに面白いと思うのは、


ゼロから新しいものを生みだすことも創造だが、
既知のものを未知化することもまた創造である。


ということで、


脳科学的に考えれば、日常の刺激が同じなのに、
脳の中が変わることで、その刺激の受け止め方がかわる。


川上弘美さんのエッセイのなかの日常が面白い!と思うのは、
川上さんの日常が絶えず未知化されているからだと思う。


「脳は眠らない」が面白いのは、
眠るという日常のありふれた行為が、
未知化されるからだと思う。


「マインド・ハック」がおもしろいのは、
日々当たり前なものとして存在している認知という営みが
突然、未知化されるからだ。


そもそも、他者の心というものは、
絶えず未知化されていくもので、
それが、自分の脳の中の他者に対する認識に
絶えず変化を引き起こしていく。


それを、日常のあらゆるものに広げることができれば、
ただすぎる1日が、もっと鮮やかな1日になるのではないか?
と思った。