田舎

ばあちゃんが亡くなって仙台にいった。
正月頃から腰が痛いといっていて、骨粗鬆症かと思って
治療しても、直らなくて、5月になって、実はガンだとわかって、
気がついたときには、すでに骨髄に転移してしまっていて、
あっという間に亡くなった。


小学生の頃、夏休みは仙台に帰るのが楽しみで楽しみで
しょうがなかった。家が農家をしていて、おじいちゃんが生きていた頃は、
朝早く起きて、トオモロコシを巨大ミキサー機械で切り刻んで、それに黄粉と砂糖を
まぶしたエサを牛にあげたり、トラクターの荷台にのっかって、
草を刈ってつむのを手伝ったり、夜になると、田んぼに蛍を捕まえに行って、
長ネギのなかに閉じこめて寝るときに眺めていた。


葬儀で、ばあちゃんの弟さんとおじいちゃんの弟さんが弔辞をはなしていて、
おじいちゃんは、東大を出ているのだけれど、戦争から帰ってきてから、
ホワイトカラーにはならず、仙台の荒れ地を開墾しはじめた。
かなりの頑固者だったらしく、周りの人は一年でやめるだろう、
二年でやめるだろう、と思っていたけれど、じいちゃんは、やり続けて、
広大な土地を切り開いて、そこで農業を一生つづけた。


ばあちゃんのお兄さんが、おじいちゃんと友人で、戦争から帰ってきたら、
妹を嫁にもらってけろ、という約束をしていたらしく、
ばあちゃんは、お嬢様育ちだったらしいのだけれど、開墾中のじいちゃんの
ほったて小屋に嫁いできたらしい。
大草原の小さな家」なみの苦労の連続だったはずなんだけれど、
そんな環境でも、娘4人を立派に育てたのだから偉いと思う。


葬儀が終わって、お骨もって、
久しぶりに田舎の家にいった。
古びた家と広大な畑、自然に囲まれた田舎が生みだす特有の匂い、
そして思い出が構成する、独特な「田舎クオリア」というものがあって、
思い出を確かめるように、家や畑を歩き回る。


高校生の頃、おじいちゃんが亡くなって、
家族で帰郷することもなくなって、
1人で、ばあちゃんの家に泊まりに帰るということも
まったくせず、でも、田舎はずっと存在していると
感じていたんだけれど、


歩き回るうちに、ふと、
この何とも言えない、懐かしくて愛着に満ちた空間は、
実は、この土地と、そこにおばあちゃんが生きている
ということによって、支えられていて、
それは、有限な時間においてのみ存在する有限な空間であって、
おばあちゃんが亡くなれば、消えていってしまうものであることに
気がついた。


なんで、おばあちゃんが生きているときに、もっと
この空間を味わいに来なかったんだろう!!と
思ったら、なんだか急にとても悲しくなった。


孝行したい時には親はなし、とはこのことなんだなぁと思ふ。