しあわせのくつ

しあわせのくつ」という言葉に
20年ぶりぐらいに出会った。


漢字で書くと「幸せの靴」。
しあわせのくつ」は、ゲーム・ドラクエⅢで出てくるアイテムで

装備すると1歩歩くごとに経験値が1上がる。レベルアップする経験値に達した場合は、次の戦闘に勝利したときにレベルアップする。(しあわせのくつとはより)


たしかバラモンを倒して、アレフガルドに行って
ラスボス・ゾーマに挑戦しようとするぐらいの、
ゲーム終盤で手に入るアイテムだった記憶がある。


歩くだけで経験値がたまっていく様子を見ていると、
たしかになんだかとても幸せな気分になった記憶があって、
その感覚が20年ぶりにふっとよみがえって、
しあわせのくつ」って
なんて絶妙な言葉の組合せだったんだ!と思う。


このまえの仏像展で見た、
円空の仏像の笑みがつくりだす
雰囲気というか空間についてずっと考えていて、
パンフレットの


「一木にこめられた祈り」


という言葉を見たら、
「祈り」という言葉の意味が、
円空仏の空間にふっとくっついた。


最近、宇多田ヒカルのcolorを聞いて
「黒い服は死者に祈るときだけ着るの」
という歌詞を聞いたときに、
「死者に祈る」という表現が格好いいと思ったんだけど
ふとそういえば意識して死者に祈りを捧げたことってない
ということに気がついて、
「祈る」という言葉の意味が未知化したんだけど、
それがなんかカタチを得た。


それと「恵み」という言葉。
ボスの「科学の恵み」という題の講演を聞いて以来、
「恵み」という言葉にはまっていて、
ネットの恵み、脳科学の恵み、妄想の恵み
とかいろいろ試してみるのだけれど、


あの空間を指し示すのに
「仏教の恵み」という言葉が
なんだとてもしっくりくると思った。


円空仏の笑みは、
仏教の恵みを感じさせてくれる
祈りの空間を生み出している
と思う。


「恵み」という言葉は、なんだか、
暖かな雨が無条件にふりそそぐというイメージがあって、
それによって、生命がぐんぐん成長するというイメージもある。


この
恵みの雨が無条件にふりそそぐ、という感覚は、
じつは
しあわせのくつ」をはいて
1歩歩くごとに経験値が1上がるときに
味わう感覚と同じものなのではないか
ということにふと気がついて、


しあわせのくつ」という言葉が与えてくれる
なんだかとてもしあわせな感じは、
じつは
円空仏の笑みがもたらす「恵み」と「祈り」の空間と
同質のものなのかもしれない、と思う。