「底を掘れ!」

最近、仏教がマイブームで、ことの始まりは、
去年、養老さんの「無思想の発見」を読んで、

養老さんが独力で辿り着いた無我の考えが、仏教にすでに書かれていた!
というようなことが書いてあって、仏教とはなんぞやと思う。


その後、玄侑宗久さんが「現代語訳 般若心経」で、

脳科学の用語を使って仏教を説明しているのを読んで
仏教って哲学だったのか!ということを知る。


さらに年末に司馬遼太郎の「空海の風景」を読んで

密教ってすごい!!と思う。たとえばこんな感じ。

 おそらく人類がもった虚構のなかで、大日如来ほど思想的に完璧なものは他にないであろう。大日如来は無限なる宇宙のすべてであるとともに、宇宙に存在するすべてのものに内在していると説かれるのである。太陽にも内在し、昆虫にも内在し、舞いあがる塵のひとつひとつにも内在し、あらゆるものに内在しつつ、しかも同時に宇宙にあまねくみちている超越者であるとされる。


そして今日、養老さんと玄侑さんの対談本、
脳と魂」を読んだ。


脳と仏教を語るには頭が整理できてなくて
部分だけをピックアップすると
この部分がグッときた。

養老: その場その場で、それなりに満足してるっていうことですよ。まさに成就したんですかねえ。まあ、ダメならダメで「しょうがねえや、それで」って開き直れるんですよ。そういう生き方したほうが楽なのになあと思うんだけど、やっぱり多くの人は、「こうしたらああなる」「ああすればこうなる」で自分を窮屈にしてるんだ。だからね、どん底に落ちて八方塞がりになったら、「底を掘れ!」っていうのが大好きなんです。どん底に落ちたら、そこから先は上がる一方だなんて甘いこと言うんじゃねえ。「掘れ!」ってね。


なんだかよくわからないけれど、おおお!と思い、
これは「どん底のときに思い出したい名言ベスト3」に入る、と思ふ。


「底を掘れ!」というのは
「ヤケになれ!」と言っているのでは絶対なくて、
まわりにいた人にもこの部分しびれない?と(強引に)読ませ、
どんな意味だと思う?と聞いたところ、


タナベは
さらに掘れば水が出てきて外に出られるかもしれない
と言い、
セキネは
養老さんはロックしている
と言った。


それで「底を掘れ!」の意味を自分なりに考えていたら
「無記」という言葉を思い出した。


東工大名誉教授でロボコン創始者でもある森政弘さんが
機械部品の幕の内弁当」という本で
「役に立たないものを役立てる」ためには「無記」という
考え方が役に立つと言っていて
「無記」というのも仏教の言葉で、
善でも悪でもないもの。善悪以前のもの
という意味らしい。


たとえば、あるモノを目の前にして、
ああ、これは役に立たないなーという思いがフッとわいたとき
そのマイナスの価値観は、実は自分が勝手に作り出している主観的なものであって、
客観的なモノそれ自体は「価値」をもっていない。
つまり、価値というのは心の産物で、
頭の切換えや心の持ち方の転換によって、
あるモノを見たときに引き起こされる
「役立たない」という価値観を「役立つ」という価値観に
180度転換することができる!


と森さんは言っていて、例えで、


ある人が「コピーの機械の開発」という問題を抱えていて、
容易にはよい案が浮かばず、困り抜いていたという。
そこで、ストレスを解消するために音楽を聞こうとレコードをかけた。
演奏が終わってプレーヤーからレコードを外し机の上に置いたら、
ほこりがふわふわっと大切なレコードに付いたという。
彼は「こん畜生!」と思ったのだけれど、
すぐにそのマイナスの価値を脱却して、「無記」の世界へ脱出して
カッカとした「レコードにほこりが付きやがった!」という思いは、
「ああ、プラスチックの円盤に粉末が付着したのだな」
という冷静な見方に転換したらしい。
そして、この視点の転換が静電気でトナーを付着させて印刷するという
コピー機の原理につながったらしい!!


「無記」の説明が長くなってしまったけれど、
玄侑さんも「一切唯心造」という言葉を言っていて、

不安だとか悩みだとか言っても、それはすべて、結局その人の心がつくり出すものだ

という意味らしい。


これらをまとめて適用すると
どん底」というネガティブな価値は
結局その人が「こうしたらああなる」「ああすればこうなる」という自分縛りによって
主観的につくり出しているものであって、
「あとは上がる一方」という考えは
その価値を維持したまま・変更しないまま
つまり自分を変えないまま
周囲の状況が変化するのを待っているところが甘い(養老さん的には)。
「底を掘れ!」というのは、
意識的・能動的に「どん底」から「無記」の世界に脱出して
価値が180度転換するような
見方を見つけろ!(それが「掘れ!」に相当する?)
という意味で、
それによって「どん底」を180度ひっくり返せる
ことだってある!!


という意味なのではないか?なんか違うかも。。
いずれにしても仏教は深いぜ!と思ふ。