ポーカー犬とジョークを思いつく思考のプロセス

某大先生と松本人志さんの対談のmp3を某ルートからゲットして
聞いたら、超おもしろくて、脳科学的に特に面白かったのが、
コントのとき、松本さんは台本をかいたことはなくて
すべて即興で、しかも、しゃべるまえに頭のなかに
おちのイメージがはっきり浮かんでいるらしい。


昔、松本さんの「哲学」という本に以下のような
驚くべき記述があったことを思い出した。

松本人志 「哲学」より抜粋
 僕は、「いつも何かを考えながら喋っているように見える」と人からいわれることがある。
 たしかに、そうかもしれない。
 自分の感覚でいうと、頭の中に何個か考えがあって、そして、その場でそのうちのどれを喋ろうかと選んでいる感じなのだ。


これはどういうことなんだ!?と思う。


最近、山田一成さんと佐藤雅彦さんの共著「やまだ眼(がん)」という本を
思わず買ってしまったら、佐藤さんがボケを以下のように分析していて
鋭い!と思った。

山田一成 佐藤雅彦 「やまだ眼」より抜粋
漫才で、つっこみに対してぼけた話をして客を笑わせる役がぼけである。とても意図的で頭脳的な所為である。ダウンタウンの松本や爆笑問題太田光が典型である。彼らは一見とぼけているが、今その場でみんなが何を思っているか誰よりも知っている。だから確信的に、場違いな言動ができる。


ロジカルに考えるならば、
意外性があるとか予測を裏切るというのは
まず予測の存在を前提としていて
脳はそこからちょっと外れているときに
意外性があると認識するようにできている


だから、狙って、ぼける=相手の予測を裏切るためには
「A」というはなしのとき、相手はつぎに「B」が来ると予想している
ということに気がついている必要があって
その上で、「B」のかわりに「C」「D」「E」・・のどれを言おう?
という候補を思いつかなければならない。


でも、この「AのつぎはBが来る」という規則は、普通、
常識とか固定観念と呼ばれていて、無意識下に沈んでいて、
思考とはふつう、そのような無意識下の規則の上を自動的に流れていくものなので
狙ってぼけるためには、まずそのような無意識になってしまっている
「A→B」という規則に意識的に気がつかなければならなくて
その状態が、佐藤さんの
「今その場でみんなが何を思っているか誰よりも知っている」
ということなのだと思う。


それで、話はやや飛ぶんだけれど
どうすればこれに気がつけるようになるか?ということを考えてみた!


それで思い出したのが、昔読んでいた
「頭が良くなるジョーク」というメルマガで
http://www.melma.com/backnumber_94862_629357/
これはジョークのオチの部分が空白に何が入るかを考える
ことで頭を良くしようという趣旨のメルマガで
これを「まとも」にやると、
まず常識的な答えはどうなるかを片っ端から考えた上で、
そこからはずれるとはどういうことか?ということを
自然に考えるようになる気がしてやってみた。


たとえばこの問題。

<問題>
 ある酒場でポーカーをやっている犬がいた。それを見た客が驚いてこう言った。
「こいつはすごい! ポーカーができるなんて何て賢い犬なんだ」
 すると、一緒にポーカーをしていた男が答えた。
「いや、そんなにすごくもないよ。だって……」

 さて、男はこのあと何と続けたでしょう?


むむむ。思いついたことを片っ端から書いてみると・・


1「あたりまえだろ?」
2「犬なんだから」
3「本当は見ているだけなんだから」
4「こいつはポーカー犬なのさ」
5「トランプをながめているだけなんだから」
6「こいつはトランプが好きなんだから」
7「犬でも模様はわかるのさ」
8「こいつは俺の犬なんだから」


・・・なんのひねりもなーい!!
なんてつまらないことしか思いつかないんだ!
と嘆きつつ、ふと操作されてるのかも・・と思って


9 「こいつは、おれの命令通りに動いているのさ」
10「なかに人間がはいっているのさ」
11「こいつは犬に似た人間なのだ」
12「こいつのなかみはアイボなのさ」


これまた全然おもしろくなーい!!と思ふ。


しょうがないので、もっと飛んでみようと思って


13「こいつは宇宙からやってきた宇宙犬なのだ!」
14「こいつは脳をいじられてIQが100もあるのさ」
15「こいつはいつもポーカーフェイスなんだから」


・・・同じところをグルグル回っている。。


わからない!!


こういうときは、問題を整理するために
可能性を列挙してみようと思い立つ。


1「犬」という言葉を疑って
・犬がスーパー犬であるという可能性
・犬に擬人化の設定がされている可能性
2「ポーカー」という言葉を疑って
・ 犬は普通で、かつ擬人化とかはなく現実的な設定で、ポーカーをするという行為を別の意味で解釈できる可能性
・ ポーカーをやっているようでいて、見せかけとか、実はやってない可能性
・ 犬は実はポーカーをしてなくて、誤解している可能性。
3 ダジャレでオチる可能性


うーん・・とまたしばらく考えてみたけれど
オチらしいオチを思いつかなかったので
答えを見ることに。。


答えは、


「いいカードが来ると、うれしくて尻尾を振ってしまうんだ」


がーーーん!!
そんなオチなんかい!!犬がポーカーをふつうにやってんじゃん!!
ムキーッ!!と思う。


冷静になって分析してみると
「犬」「ポーカー」には注意が向いていたけれど
「賢い」には向いてなかったことに気がつく。


「ポーカー」ができる「犬」というのは前提にしてよくて
その上で、「賢い」という意味をどうとるか?と考えなくてはいけなくて


「ポーカー」における「賢い」とはなにか?→ポーカーフェイスができること
犬はヒトと違ってウソがつけない→ポーカーフェイスができない→感情を隠せない
→嬉しいと感情が出てしまう→いいカードが来ると嬉しくて尻尾を振ってしまう!!

という連鎖が頭の中で起こると、このオチにたどりつけることがわかった。


うーむ。。難しいなり。。


でも、こうして、あーでもない、こーでもないと徹底的に考えてみると
オチを掘り当てるプロセスそれ自体になんだかリアリティを感じるようになってきて
頭が良くなった気がした!(当社比だけども。。)
おすすめ!




最後に、保坂さんが「言葉の外へ」という本のなかで

 疑問を出すことは答えることよりも難しい。たとえば、リンゴが落ちるのを見てニュートン万有引力を発見したとされているけれど、発見つまり答えより先に、「何故落ちるのか?」という疑問があった。ニュートンは、「何故落ちるのか?」という疑問を出すことのできた人だったのだ。
 小説は万有引力のようなたった一つの答えを出すものではない。小説の中でリンゴが落ちたら、「リンゴにも意志はあるのだろうか?」でも「リンゴもまた宿命から逃れられない」でも「落ちるタイミングが絶妙だった」でも「どうしてそういうことが気になるのだろう」と考えるのでも何でもいい。できる限り多くの疑問や仮説を出して、作者と読者がこの世界を限定して見ないようにする場所に連れていくもの、それが小説だ。それは幼年期から持ちつづけた疑間にとても近い。そしていまの日本では、想像力が磨耗した大人からは、やけに遠くなってしまった……。


と書いていて、この
「世界を限定して見ないような場所」を目指して「できる限り多くの疑問や仮説を出す」
という思考のプロセスって、ジョークのオチをみつけるために
ひたすら考えることに似てないか!?と思った。